その日、ピタピタとアスファルトを叩く雨の音で目が覚めた私は枕元にある携帯を手繰り寄せ、
まだはっきりしない意識の中で時間を確認する。
「なんだ。まだ9時か・・・」
心の中で呟きもう一度眠ろうかと頭から布団を被ったが、まったく墜ちてゆく気配がない。
それどころか雨の音がより鮮明に聞こえ始めてくる。
まだ眠たいのに眠れないもどかしさに苛立ちを覚え余計に目が冴えてくる。
「仕方ない。こんな日もある。今日は起きてみるか。」
と自分に言い聞かせ布団から這い出た私は滅多に起きない時間に
起きてしまった事をいまさらながらに後悔した。
普段の私は昼過ぎに起きて夕方に家を出て夜中まで働き明方に寝るという
サイクルで生活しているので午前中なんかに起きても何をしたらいいのかわからないのだ。
とりあえず傍に置いてあるピアニッシモを手繰り寄せ
店のライターで火を付けて煙をくぐらせながら、
ほとんど付けないテレビを付ける。
そこには顔は見た事のあるが名前の知らない司会者が真剣な表情で、
しかし、どこか他人事の雰囲気を漂わせながら何やら遠い国で起きた事件の話をしているようだ。
「まったく痛ましい事件です。」
「心よりご冥福をお祈りします。」
「一日も早く平和が訪れる事を・・・」
そんな反吐が出るような心にもない台詞が次々と発せられるのをただぼんやりと眺めている。
なんとなくそうしているうちに、ふと我に返りふいに時計を見ると
一時間も経っていた事に少し驚きを覚え、
このまま不毛な時間を過ごす事が癪にさわるのと、
というよりお腹が空いたが家にはろくに食べる物もないので仕方なく出掛ける準備を始める。
最初こそ準備がとても億劫だったが、
久しぶりに時間をかけてメイクを入念にする事ができたので徐々に気分が高揚しはじめた。
そして、家を出る頃には強めに降っていた雨もすっかり上がり
部分的に青空まで覗かせている。
いよいよ気分を良くした私は足取りも軽く駅へと向かって歩き出す。
普段は最寄りが東向島なのでそこから電車に乗るが、
今日は前から気になっていた銀座の店に行く事にしたので少し遠いが
京成曳舟まで歩きそのまま都営浅草線経由で東銀座まで向かう事にした。
途中、大きな水溜りを見つけ小学校の頃よく長靴で水溜りに向かってジャンプした事を思い出し、
急にあの頃のように飛びたい衝動に駆られたがヒールである事に気付き
一人苦笑いしながら私もまだまだ気持ちが若いなぁなどと
一人ごちて水溜りを避けながら歩いてゆく。
銀座の街はいつだって華やいでいる。街の雰囲気もお店のショーウインドウもの人々の装いも。
そしてこの街は余裕に満ち溢れている。そんな街をただ歩いているだけで心が浮かれてくる。
星のようにキラキラとしたブランド店を横目に目的の店を見つけた私は入口のドアをくぐる。
店員「いらっしゃいませ。」
「ご予約のお客様ですか」
私 「いえ」
店員「おひとり様ですか」
私 「はい」
丁度お昼時という事もあるが、やはり有名な洋食のお店なので
店内は見渡すかぎり大変な賑わいを見せている。
店員 「ただいま混雑しておりましてテーブル席は満席でございます。
カウンターでもよろしければご案内できますが如何致しましょうか」
カウンターかぁ。
久しぶりのランチだしせっかく銀座まで来たんだからゆっくりと味わいたかったけど
待つのもしんどいしいいか。
私「はい。お願いします。」
店員「かしこまりました。それではこちらへどうぞ」
店員に促させるまま私は10名程が座れるカウンター席の一つに案内された。
一つと言っても、もう他の席はいっぱいでカウンターもそこしか空いていない状況だったので
店員に「こちらになります」と言われたと同時ぐらいには座っていた。
席につきメニューを眺めていると、先程とは別の店員が水とおしぼりをもってくる。
店員「注文がお決まりになりましたらお声掛け下さい。」
そう言ってせわしなく去ってゆく。
店員が去ってからしばらくメニューを眺めていたが、
空腹感がピークに近い私はどれも美味しそうに見えてきてなかなか決める事が出来ないでいた。
そんな折、ふいに
隣りの男「ここはチキンカツが最高に美味しいですよ」
突然の事で一瞬何を言われたか良く分からなかったがとりあえず声のする方を見た
隣りの男「いやっおせかっかいかも知れないですけど迷われていたのでつい。」
隣りの男「すいません。でも本当にチキンカツ美味しいですよ」
優しい笑顔で微笑みながら話しかけてきたその男はすらっとしていて育ちの良さが前面に出ていて
年は私と同年代に見えるが、スーツ姿は明らかに垢ぬけており
都会の洗練された出来るサラリーマンの見本のような人だった。
私「えっ」
私「そうなんですか」
私「じゃぁせっかくなのでそれにしてみようかな」
話しながら自然と微笑んでいる私がそこにいた。
隣りの男「ぜひ食べてみて下さい。もし、美味しくなかったら
僕が責任もってあなたの分までお支払いしますよ」
私「いやいやそんなのおかしいですよ。あなたの店じゃあるまいし。
確かにお勧めはされたけど決めたのは私だからお気になさらないで下さい。」
彼との出会いはこうして始まったのである。
続く